至上の印象派展ビュールレ・コレクション。目を奪われたひまわりに隠されたストーリー
こんにちは〜
今日はですね、先日いってきた新国立美術館の絵について、印象に残った絵とその背景とか読み取れることをかいてみよっかな〜と。
実は、こういうこと大学時代のゼミでやってたんですが、最近絵と深く向き合うってことをしなかったので、やりたくなったのです。
いってきたのは、コレ!
新国立美術館で開催されている、ビュールレ・コレクション!
ピカソ、ゴッホ、モネ、マネ、ドラクロア、多数の有名画家の絵をコレクションした収集家ビュールレ。
画家の才能と、ビュールレの収集の才能が結合すると、こんなにもいい展示ができるのかと、正直、衝撃の連続。わたし、絵画見てトリハダたったの初めて。
そんな中、今回気になった絵画を発表します。
これ。じゃん。
どうですか、第一印象?
なんか、貫禄半端なくないですか?花の部分の密度に比べて土?根?の部分がとても重々しく、なんだか人間が「ドンッ」て腰掛けてるみたい。
しかも、このヒマワリ、枯れかけてて元気なさそうなのに、一本だけ違うのがありますよね。上に伸びてちゃんと咲いてるやつ。まるで人間のフェイスですよフェイス。
体は動かないけど、その暗さの向こう側にある、表情や顔つきは鮮明に表現できる。そんな人の影が、このひまわりに隠れているのではないか、と感じました。
てか、部屋の暗さに比べて、外の明るいパラダイス感。これもギャップ。ヒマワリに言ってやりたいね。「オマエひまわりなら外でて彼らと遊んでこいよ!」と。
問う
あなたは誰ですか?どこを見ているんですか?なんでそこにいるんですか?これまで何をしていたんですか?彼女いるんですか?たくさん聞きたいことがある。
先に解説みちゃうと面白くないよね。絵と対話する前に背景が全部わかっちゃうんだもん。
けどね、わたしは解説を先に見ちゃったんで、この後に書きますよ。
画家と背景
この絵を見たとき、どっかで見たぞと真っ先に思いついたのがこの絵。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「三輪のひまわり」1888年
ヒマワリといえばゴッホってイメージだし、画法もそっくり。ゴッホの絵なのかなー?と思い、作者を見てみたら違う。
さっきの絵は、ポール・ゴーギャンが1901年に描いた、「肘掛け椅子のひまわり」という作品。ちなみにゴーギャンはこの人。
実はゴーギャン、一時期ゴッホと一緒に住んでいた時期があるらしく、お互いにひまわりの絵を描きあっていたんだとか。どうりでゴッホを思い起こさせるわけだ…。
彼らは南フランスのアルルにある、”黄色い家”で生活していました。ゴッホも、ゴーギャンとの共同生活の中で、ゴーギャンに関する様々なものを描いています。
(ゴーギャンはゴッホの象徴的な肘掛け椅子を描いて、ゴッホはゴーギャンの椅子を描いて、2人の関係は、いったいどれだけ深いんだろう。)
しかし、彼らが生活をした期間は約2ヶ月のみ。ゴッホが起こした謎の"耳切り事件"をきっかけに破綻することとなります。(耳切り事件が気になる人はググってみてね)
フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をしてパイプをくわえた自画像」1889年
ゴーギャンがこのひまわりの絵を描いたのは、ゴッホとの生活が破綻して、そしてゴッホが亡くなってから、約10年後のことです。
なぜそんなタイミングで、ゴッホの絵を描いたんでしょうね。
ゴーギャンも晩年になり、もう会えないゴッホへの敬意とか、愛情とか、悲しみとか、言葉じゃ表せない想いを表現したのかなぁ。
ちなみに、ゴーギャンは晩年、タヒチに住んでいたのですが、このひまわりについては、こんな記述もあります。
タヒチにはひまわりがなかったので、わざわざパリから種を送ってもらい島で栽培して描いたという。自分の絵と交換して手元に置くことを望むほど、ゴッホのひまわりの絵を愛していた。ゴッホへの美しいオマージュである。
そんな背景を踏まえ、この絵をもう一度。
アナタは一体、どこを見つめているんですか。
ビュールレ・コレクションで感じたこと
絵画って人との向き合い方に似てると思うんです。絵と対話を重ねるごとに、どんどん深みが出てきて、気づいたら夢中になってる。けど、最初にどんな絵と対話するか決めるのは、自分のフィーリング。おもしろいよね。
あと今回展示を回るなかで、芸術的センスの相性が合う人は、カラダの相性も合うんじゃないかなって、思いました。
え?誰かと回ってたかって、いいえ、1人ですよ。
変態なんです、わたし。